サクラ、人の気配と共に



















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染井吉野などが人の気配とよく合うのは、人のエゴが生み出した自立繁殖もできない種だからかも知れません。
これは桜を貶しているわけではなく、人に好まれる事で繁栄してきた桜は人の気配と良くマッチすると思うのです。
もともと「花」は「何かに好かれる事」で繁栄してきたとも言えると思います。
あるいは昆虫に、あるいは鳥に、そして人に。「誰かに好かれる」そのために香りを発し目にも美しい色彩を纏い。さらには蜜や果実と言う食料まで提供して。
ある高僧が「花を美しいと思う事は即ち怒りである」と言いました。「猫は花を美しいとは思わないだろう」と。要するに「美しい」と思うことも雑念の一種だと言うのです。
それはそれで意味の深いお言葉なのですが、私は「猫でも鼠でも花が美しいことくらいは知っている」と思うのです。
花は誰かに美しいと(要するに近付きたいと)思ってもらうために人類が誕生する遥か昔から悠久の時をかけて美しく進化してきたのですから、せいぜい数万年の人間の文化や思想の入り込む余地など無く本能的に「美しい」のだと思うのです。
そう、花を美しいと思うのは思想や感情ではなく「本能」だと。だから虫に好かれて繁殖した花は「虫」が似合うでしょう。鳥に好かれて繁殖した花は「鳥」が似合うでしょう。
染井吉野などは自分で繁殖する事が出来ません。
人が挿し木などをして増やしてやらなければ絶滅するそうです。
でも事実、これほど繁栄している花木が他にあるでしょうか?
人間を上位に見れば「人が手を加えて品種改良した」とも言えますが、見方によっては「人に好かれる事で繁栄する道を選んだ」もしくはそのために人を利用しているともとれます。
他の野花達が蜂や蝶を利用、共存しているのと同様にね。
園芸種には少なからずその傾向はあるでしょうが、桜はその極みでしょう。
だからこそ「桜」は人の気配が似合うと思うのです。